2012年2月7日火曜日

2月6日(月) 迷った末に記すことにした… 心が閉じてしまう

自分の心の整理のために ここ4,5日のことを日記風に記すことにする。

日々の弁当の報告と、この間に起きた様々なことに対して書くことが溜まっているので、そろそろ報告しょうと思っていた矢先、私の終末期の人生に重大事が起きた。耐え難い、しかし耐えなければならないことが……

超プライバシーなことなど書きたくはないが、何かに想いを吐き出さなければ私自身が落ち込んでいく。
こんな個人の秘密に属するようなことを記録し公表することに対しては、賛否が分かれるところだろうが、この私のブログを見る人はごく少数の私の知人に限られてくると思うので書き記すことにする…
多くの人に支えてもらいたい、しかし誰も見なくてもよい、自分の心の整理のために…

2月2日(木)
 夜8時半ごろ、夕食後のゆったりとした時間が流れている時、妻が身体が何か変だと言い出した。しばらく安静にしていたがやはり何か異変が起きているとの訴えに119番で救急車を呼び、県立病院に緊急入院・集中治療室(ICU)に入院した。МRIなどの検査結果から「脳梗塞」と診断された。そのころから麻痺が始まっだようだ

 医師から、症状が発現してからか3時間以内に使用すれば劇的に症状が改善されるというアブテブラーゼという薬を投与する「血栓溶解療法」の同意を求められた。
この療法はアメリカでは十数年前から行われている治療法で、日本では数年前から保険適用された治療法。ただデータでは39パーセントの人にしか効果がなく、他の箇所で出血を引き起こす危険な副作用の可能性もあるものだったが、迷っている時間もない。ただちに同意した。(後で知ったがこの治療法は、認定された特定の医療機関でしかできない)

 この治療法が効果があり、この危機を脱してくれることを祈りつつ、しかし一方では事の重大さに私の心が押し潰れそうになっている。
誰かとこの苦しみを分かち合いたい、本来その分かち合う相手が今病魔に襲われている。
やはり分かち合う相手は家族になってしまう。長男は今海外へ出張中、京都に居る次男に連絡するとただちに駆けつけてくれた。

 その私たちは何もなす術もなく、深夜、心を残し病院を後にする。

 眠ろうとしても寝付けない、これからの不安、妻の悲しみと苦しみ、今までの出来事が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ…何故か涙が出てくる…何の涙なのか…考えているようで何も考えていない、何を考えればよいのか…ただただ心が苦しい…

まんじりもせず朝を迎える。

2月3日(金)
 

 
  面会時間は11時からだが、そんな遅くまで待っていられない。9時過ぎに病院に駆けつける。
 

 今朝の妻の顔はやはり沈んでいる。残念ながら「血栓溶解療法」は妻には効果がなかったようだ。
憔悴した妻の顔、思うように動かせせなくなった自分の身体に、受け入れがたい現実に戸惑い苦しんでいる姿。それでも気丈夫に振る舞っている妻。私も口では励ましているが、痛々しい妻の姿に、私自身が戸惑っている。
 

  医師から二度目のМRIの結果の説明を受ける。血栓がくっきりと映っている。梗塞はごく小さいが起こした場所が悪いとのことだ。運動神経を殺しているらしい。
「右半身に強い麻痺が残っている。あとはリハビリしかない」と告げられる。

 長男と次男のそれぞれの「連れ合い」も駆けつけてくれる。

 意識ははっきりとしているが右手、右足が完全に動かなくなっている。会話もしっかりと出来るが、右顔に少し麻痺があり発音しにくいところも残っている。

 妻は、この状況を親戚や友人に知らせることを拒む。この状況を受け入れることができないて戸惑う。弱っているこの姿を誰にも見せたくない、心配をかけたくないし、同情してほしくないし…さまざまな気持ちがまぜこぜになり入り混じり、誰にも会いたくないと思ってしまうのだと思う…私もそういった気持ちがある…痛いほどよくわかる。
しかし、伝えなければならない人には伝えなければ…

「リハビリで回復できる」「焦らす気長に行こう」と語りかける。「うん」と頷くが妻の心には届いていない。死をも意識しているようだし、仕事上「回復できない例をたくさん見てきている。」とも言う。
妻の性格は「潔いこと」だが、この場合は裏目に出てしまう。
息子ともども一番心配なのは、リハビリを途中で投げ出さないかということだ。「叱咤激励しながら長期戦で臨むこと」、そのためには「何か目標を持って」と話し合う。しかし妻の性格からこれはかなり困難な戦略だと思う。

長い、いや短い一日が過ぎていく。冷静にならなければ冷静にならなければ、と自分に言い聞かせる。この新しい現実と向き合いつつ、一方で今までどおりの生活を送ることで自分の心の平衡を保っていこうとも考える。

夜、一人になると、いろいろな思いが込み上げ涙があふれ出る。彼女の悔しさ、悲しみ、不安感、絶望感を思うと涙が溢れ出る。これからのこと、将来の不安が膨れ上がる。私の心は張り裂ける寸前になっている…
なぜこの年になって、こんな悲しみそれも苦しみを伴う悲しさを味合わなければならないのか、重圧に胸がつぶれそうになる。心を閉ざしたい。

彼女の運転であちらこちらをドライブした日々はもう望むことはできないのだろうか…。いやそんなことはどうでもよいのだ…
彼女は私以上にもっともっと苦しみ悲しんでいるはずだ。私が負けてどうするのだ、負けるわけにはいかない…

二日目の夜も悶々として朝を迎える。

2月4日(土)

今朝の妻の顔色が良いし明るい表情が戻ってきたようだ。彼女が明るかったらこちらの心も晴れる思いだ。私の心も落ち着く。
今朝から流動食が始まった。出された食事の半分は食べた。

幾らか前向きに物事を考え始めたのだろうか。

実の妹夫婦がお見舞いに来てくれた。この妹も3年前に脳梗塞で倒れ、リハビリで95%機能回復した経験の持ち主だ。彼女は自分の経験を語ってくれた。ただ妻よりもいくらか症状は軽かったが。
妻は「自分も頑張ろう」と思ってくれただろうか。

次男の子供・孫たちも見舞いに来てくれた。妻の心がいくらかは和んでくれただろうか…

妻に、まずは「外泊できるまで」の機能回復を目指そう。週末は自宅で過ごす生活を目指そうと提案する。何とか実現したい。妻は半信半疑で聞いていた。

考えを整理する、千々乱れる思いを整理する、そのために書く。様々な出来事、私の心の軌跡を書き留めて整理しなければと思う。

夜、一人になると、ふと横に彼女がいる錯覚に陥り、そのたびに寂しさが込み上げてくる。
妻が退院してくるまで(何か月先になるのだろうか)一人の生活になる。
一人の生活に慣れなければ…
これからの二人の新しい生活、少ない残りの人生を共にしていこう、新しい人生の始まりだ…
など考えながら眠りについた…
久しぶりによく眠れた。

2月5日(日)

久しぶりに台所に立ち、朝食を作った。今までのように日常生活を当たり前のように過ごすことで、心の平衡が保てると思う。
溜まっている洗濯もした。十数年振りだろうか、私が「主夫」をしていた頃は、食事や家事は私の担当だったがそれ以来だと思う。久しぶりなので洗剤と水量の割合など戸惑ってしまう。

これからはこんな生活になるのだろうなあ。

午後に長男が海外から予定を変更して帰国することになったので、妻に夕食は息子たちと食べる旨を伝えると、妻は「葬式の相談をしておいて」といった。「なにゆうてんねん」と返したが、私の心に突き刺さった。

昼食のために帰宅し、一人になって思わず泣いた。
まだ彼女の心に「死ぬのだろうかとの思い」が潜んでいるのだと思うと、おもわず「久美子」といって泣いてしまった。
妻を「久美子」と名で呼んだことがほとんどない。「君は」とか大阪弁で相手のことを「自分」と呼ぶがその「自分は」としか呼んだことがないのに…
本当に彼女の悲しみ、心の闇を思うと涙が止まらない。

長男が帰国し、その息子・孫たちと一緒にきてくれた。妻の暗い心に少しでも明かりが射せばと願う。


昔の生活に戻りたい、昔のように人生を楽しみたいと思う気持ちが強くあるが、それはほとんど不可能だと思う。 何も今までと同じ生活をする必要はない、新しい条件で新しい生活、新しい楽しみ方を作ればよいのだ、と思えるようになってきた。

これからの二人の生活、歴史を作ればよいのだ、たとえ体が不自由だったとしても…

2月6日(月)



朝食と弁当を作る。弁当は久しぶりだ。今までの日常生活から、これからの新しい生活のスタイル、リズムを作っていかなければならない。

午後、ICUから一般病棟に移る。経済的にはつらい面もあるが、個室にした。弱っている心には静かな雰囲気が必要だとの思いからだ。何もすることのない~することができない時間を、少しでもゆったりと自分の自由にできる、テレビも見れるし…看病するほうも落ち着けるし…

今年は、結婚47年目だ。あと3年で50年記念だ。50年記念には二人だけか家族でかは別にして何かお祝いをしょう、それまでできることなら、食事やトイレが自立できていればよいのだが…と妻に希望を語った。

仕事場・事務所に顔を出しに行く。少しづづ前の生活に戻ることも必要だと思う。

夕食を作ったが、一人分を作るのは何かわびしい。やはり料理は食べてもらう人がいて作るものだと思う。自分の分だけならどうでもよいように思えてくる。しかし頑張って作ってみた。
一人で食べる夕食は寂しい、今までも一人で食べることが多かったがそれでもいつも傍に妻がいた。これからは当分の間、文字通り一人の食事になるのだ。
これからも料理は続けるぞ。これは私の戦いだ。

2月7日(火)

古くからの友人が見舞いに来た。続いてもう一人が…。それから私の妹が来て…私も含めて一日中誰かが病室にいる状態だったようだ。みんな妻を心配してのことなのだが…
心が弱っている今の妻には、逆にそんな状況は、重荷になっているのかもしれない。

長男夫婦にも、私にも「もうそんなに来なくてもよいから」「早く帰って、あんたも!」という。

昼もそうだった。事務所に行ってまた夕方に戻る、というと「もう戻ってこなくてもよい」といっていた。額面どうりに受取ればよいのだろうか…
昨夜は、「帰ってもやることがないのなら、(病室に)泊まっていけば」といっていたのに…

彼女は何も考えない「無」の時間を求めているのかもしれない。心の回復のために…
今までと、受け入れがたい今との溝をうめるゆっくりとした時間が必要なのだろうか。

私(たち)が恐れているのは、何もない時間に、彼女の考えや思いが消極的な方向へ、マイナスの方向へ向かうことなのだが…

本人が、現実を受け入れるのには確かに時間がかかることなのだと思う。彼女を支えようとする周りは、少し焦りすぎているのかもしれない。

「昔通りに戻れる。頑張れがんばれ」の応援も彼女の重荷になっているのかもしれない。

昔と今のはざまで揺れ動く妻の心に寄り添うにはどうすればよいのだろうか。




















 
                             

0 件のコメント:

コメントを投稿