2012年2月25日土曜日

2月23日(木) 24日(金) 心の日記 空間・二つのリハビリ/ゴーヤとゴボウ

■2月23日(木) 空間
昨日記録し忘れたことだが、婦長さん?が先日の件(管理か看護かで記録した件)で謝罪?に来られた。どういうルートで婦長に伝わったか知らないが、院内で問題になったのだろう。夕食を食べなかったことから波紋が広がったのだと推測できるが…
婦長曰く「あの看護士は言葉遣いが悪いので」ということだった。私は違うと考えているのだが「管理か、看護の問題ですね」とだけ伝えておいた。別に今の段階で論争することでもないだろう…
病院のそれもベットに閉じ込められている彼女の狭い空間が、少しでも広がることを願っているだけだ…

問題の「柵」が取り外され、自力での車椅子⇔ベットの移動が自由になった。ただ見ているとハラハラするほどぎこちない動きだ。右足、右手が動いた結果の「移動の自由」ではなく、体のバランスがどうにか取れるようになり左手足でカバーしながらの移動だ。
とりあえず彼女の空間が少しは広がったことになる…
     
   ある知人から「松上さんが元気なことが、奥さんが元気になることだ」との励ましを受けた。そうかどうかは分からないが、今私が倒れたら本当に共倒れになるとの自覚はある。と言ってそのために何かをしているわけではないのだが…
むしろ妻の強さが私を支えている、と思っている。厳しい境遇になって一時は落ち込んでいたが、立ち直ろうとする意志は今は強くなっていると思う。そんな彼女の気持ちが私を支えている。
動ける空間は狭いが、彼女の心の空間は少しづつ広がり始めている…

■24日(金)二つのリハビリ
今日は午前と午後 2 回で合計180分のリハビリだった。そのうちの 60分 作業療法のリハビリを見学した。腕を中心としたリハビリだった。この病院に転医した時と比べれば少しは動くようになっている。指はまだまだのようだが。 肘も少しは曲がるようになっている。引力に逆らう方向はまだまだだが…

一日二回のリハビリ。大体は午前中は作業療法、午後は理学療法のようだ。どう違うのかわからないが…
見ていると作業療法は腕が中心で、理学療法は足が中心のようだ。
作業療法は、今よりも少しでも生活が自立できるように、たとえばトイレに行けるようになどの訓練も行っている。
理学療法は、具足をつけての歩行訓練が中心になっているようだ。
毎日2時間以上のリハビリた。彼女にはかなりの重労働のようだが、これが未来を切り開く…そう信じてやり抜くしかない。

ひとり者の弁当
■2月23日(木) ゴーヤとチリメンの炒め物

《上》ゴーヤとチリメンの炒の炒め物。数の子。自家製ゆかり。
《下》鯖の煮物(冷凍保存)。キヌサヤの塩煮。自家製漬物。いよかん。

※季節外れのゴーヤだが沖縄産だ。肉ではなく返りチリメンと炒めた。
※数の子は、前日の松前づけを作るときに塩抜きした数の子の半量を、昆布とかつおのダシに酒、ミリン、醤油で味付けした液に漬けた。

■ 24日(金) 牛肉とゴボウの炒め物



《右》牛肉とゴボウ・セロリの炒め物。自家製漬物(セロリと胡瓜の糠漬け他) パイナップル
《左》自家製いかなごの釘煮。キャベツとエノキの塩こぶ和え。辛子明太子。

※①キャベツとエノキを電子レンジ手加熱。②薄揚げも加熱しパリパリにして細くして①に混ぜる。   
③塩昆布で和える。


2012年2月23日木曜日

2月21日、22日 妻離れ?ー足が動く/筑前煮といかの塩辛ーサンマの丸干し

■2月21日(木) 入院して初めてのこと 
今日は全身湯につかることができる入浴日だった。これからは週2回の入浴日がある。
浴槽に座っていると、下から湯が出てきて全身が湯につかる仕掛けになっているタイプの機械入浴という方法での入浴だった。全身湯につかるのは、病に倒れ入院した 2 日以来初めてのことだ。
とにかく久しぶりに湯につかることができ、気持ちが良かったとのことだった。
良かった。少しでも気分が和んでくれたのならば…

夜に会議があったので、今日は夕食時には、病室に行けなかった。彼女が入院して初めてのことだ。
県立尼崎病院のときは事務所との距離が自転車で10分ぐらいだったので、事務所⇔病院は簡単に行き来できたが、今の病院と事務所は自転車で片道50~60分はかかる。事務所⇒病院で夕食⇒事務所に戻ろうとすれば 2 時間近くかかる。夕方以降に活動するにはとても無理だ。

前々から夕食時には、来なくてもよいと言われ続けていたのだが…
ひとりにするのが心配だったので今まではずっと夕食時にも付いていた。どうも私が"妻離れ"ができていなかったようだ。
長い入院生活になる。これからは度々こういうことが起きる。明後日も、その次の日もだ。これからの二人の生活スタイルを作るためにも必要な経験(私にとってだが)だろう…

■22日(水) 足が動く感覚
  今日、彼女は、歩行訓練で、ほんのわずかな距離だが足が動いた感覚があったとのことだ。
ここに転医して5日目になる。転医したその日からリハビリが始まった。一日2 回  1 時間から 1 時間半のリハビリだ。累積で5  ~ 7.5 時間になる。
今まで見ていると膝が少し動いたりしていたが、本人にはその自覚がないようだった。それが今日は歩行訓練中に自分の意思で動かした足が、動いた感覚があったとのことだ。一歩前進だ。
後は「量から質への転化」だ。がんばれと心で思う…

足の動きは、脳からだけでなく脊椎からの指令でも動が、手は足と比べて動きが複雑で、脳からの指令でだけでしか動かないとのことだ。だから足の方が回復は早いとのこと。
まだ手の動きは鈍い。辛抱強く粘りが必要だ。

ひとり者の弁当
■2月21日 筑前煮といかの塩辛

《右》 筑前煮。オクラ塩漬けなどの自家製漬物類。キュウイ。
《左》 返りチリメン。自家製イカの塩辛。佃煮二種(ホタルイカ、芽カブうに)
この副食は、あまりには辛すぎたので、塩からも佃煮も半分は残った。

※筑前煮は女房の好きな料理のため今まではいつも女房が作っていたが今回初めて作った。
①レンコン、人参、大根は乱切り。こんにゃくは縦半分にし手でちぎる。小芋、鶏肉は食べやすい大きさに切る。②鍋に油をひき、材料を炒める。③だし汁を加えて煮る。④みりん、酒、砂糖、醤油、塩で味をつける。⑤材料に火が通ったら筋を取ったキヌサヤを加えて仕上げる。
今回は、ゴボウを買っていたのに入れ忘れた。竹の子も入れなかった。

※オクラの塩漬けは一度茹でてから塩漬けにした。

※イカの塩辛は久しぶりに作った。イカに寄生する寄生虫は冷凍で死ぬので、いつも一度冷凍してから作る。
①イカの足とともに、ワタを取りだし、足とワタと分離し墨袋を取り除く。②胴体とエンペラーを切分け、胴体の皮をむく。③包丁の背を使い足の吸盤をしごき取る。―(エンペラーとともにげそ焼きなどに使ってもよいし、塩辛に入れてもよい) ④ワタと胴体に塩をして1日以上冷凍する。
⑤冷凍のまま水洗いをして塩と臭みを取り、ワタの皮を剥く。胴体は小さな短冊形に切る。⑥ワタを金ざるで濾す。ざる目を通し残っている皮を取り除く。⑦⑥のワタと⑤の切り身を混ぜて、お好みの塩味にする。⑧昆布茶、柑橘系の汁、種を除きみじん切り鷹の爪を混ぜる。
すぐ食べることができるが、半日以上寝かせてからの方が旨さが増す。


■22日(水) サンマの丸干し(自家製)と松前づけ


《右》 サンマの丸干し(自家製)。キャベツ(レンジで加熱)の胡麻和え。人参の塩漬けなど漬物。
イオカン(愛媛物産展で購入)。
《左》 チリメン山椒(自家製)。松前づけ。筑前煮(前日の残り物)

※サンマの丸干しは、毎年この頃(今年は遅いが)一度は作る。脂ののっていないサンマでなければ作れない(と読んだ)。脂ののった秋刀魚を干すと割れるらしい。だからこのころ安くなったサンマを買ってきて、一晩塩漬けして、三日ほど寒風にさらす。熊野地方の名物?
この丸干しを知るまでは、脂ののったサンマを生、焼く、煮る、揚げる、開きの乾物しか知らなかった。丸干しは、それらと違う味がする。
今回も3匹120円で買った。ちなみにサンマ丸干しは3匹で280円以上はする。

※松前づけは、年末に数の子を買ったとき、松前づけの材料のセット(スルメと昆布の細切りとたれ付)を買っておいた。正月に買った塩カズノコがまだ残っているので、塩抜き、薄皮剥き、をして松前づけを作った。
セットの材料に数の子と人参の細切り(茹でる)を加え、付いているたれに漬けた。


2012年2月21日火曜日

2月20日、看護?/辛子レンコン

2月20日(月) 管理か看護か
妻から病院に対する不満を聞いた。よほど悔しかったのだろう。
車椅子からベットへ自力で戻ったことに対して、看護士から注意を受けたうえ、ベットに柵をされ(左右両側の柵がそれぞれ二つに分かれていて、車椅子⇔ベットへの移動に際しては、その柵の一つを取り外す。医師の許可なく自力で移動をすることを防ぐためと思う)、「錠」をするかのように「注意書きの札」をつるそうとしたらしい。そこまでするのかと止めたらしいが、鉄格子に押し込められたような気がしたのか、よほど悔しかったのだ。涙声で「この病院を出たい」とも言った。
抗議?のためではないが、夕食を食べなかった。

生活の中で、少しでも自立しようとして取った行動に対する看護士の対応が、はたして妥当だったのかどうか。
まだ医師の許可が出ていない行動は、看護士から見れば危険な行動に映るのは当然だろう。立ち上がる時にバランスがとりにく く いつ転倒するかもしれない、しかし本人は、自分で行動しようとしている、今まで何回かは自力行動に成功している。
患者の自発性を尊重するのか、それとも安全性の確保を優先するのか。
この状況の中で、看護士は(周囲の関係者は)どう対応すべきなのかが問われたのだと思う。

午前中にもこの看護士は、「今、時間的余裕があるので、トイレを済ませておこうか」と言ってきた。
妻は、今日午前中、初めての経験1時間半の長いリハビリに疲れて、昼食後の休眠に入ろうとしていた時の出来事だった。血圧も測ると言って測った。
妻は「なぜ看護士の仕事の段取りに合わせて私の生理を合わせなければならないのか」「今までトイレのときに看護士を呼んでいたのは、迷惑だったのか」と憤っていた。

今日起きた一連のことは、患者を「管理する対象者」に見るのか、「看護する対象者」に見るのかーー看護とは何かの本質的な問題があるように思う。
貧困な医療費のため人手不足があったとしても、だ。この看護師の個人的な資質の問題で片付けられない看護のあるべき姿が問われたのだと思う。

妻と話し合った。
この病院の体制、体質と自分の気持ちと、どの辺で折り合いをつけるのか、理想通りにはいかない…結局妻は、「管理されてやる」というところで自分の気持の折り合いをつけたようだ、当面は、これで行く…

これらのことを病院に突きつけようかどうか、迷っているところだ…

■今日はもう一つ、記録しておかなければならないことがある
「こんな体を抱えてどうするの]
「君の手足になるよ」
「……」
「心配せんでも手足になり、新しい人生を歩めばええやん」
「できるの。どんくさいくせに」 (何故か彼女は私をいつも"どんくさい"という。確かにどんくさいと思う、行動も生き方も、不器用でどんくさい…)

「まだまだ行きたいところがあったのに」
「たとえ車椅子生活になってもどこへでも行けるやん。ただし金があれば…」
ともに笑う…

ひとり者の弁当
2月20日 辛子レンコン


《右》 辛子レンコン。竹輪の天ぷら。セロリの柚子胡椒和え。水菜の浅漬け他漬物類。キュウイ。
《左》 自家製ふりかけ。梅干し。水菜と豚肉の煮物。塩鮭(冷凍保存)

※辛子レンコン
①レンコンを金たわしで洗って、茹でて、自然冷却する。②粉辛子をぬるま湯で練り、(冷凍保存していたおからがあったので)おからと卵黄、白味噌をよく混ぜ合わせる。③①のレンコンの穴に詰め、冷蔵庫で立てて5時間ぐらい置いておく。④穴からはみ出してくる辛子を取り除く。⑤やや硬めのてんぷら衣を作って④のレンコンにつける。⑥180度の油で揚げる。

2012年2月20日月曜日

2月18(土)、19(日)時間とストレス/子持ちカレイ

■2月18日(土) 時間
 
起床し、夜中に窓についた結露をふき取る。昨夜から塩漬けしていた秋刀魚を天日に干す。朝ぶろに入り、朝食を作り食べる。ゴミ出しをして、洗濯機を回し、洗濯物を干す。弁当を作り病院へ行き、病室で妻と一緒に食べる。
午後、一度家に帰る。帰路、スーパーに寄り夕食の食材を買い、少し昼寝をして、夕食の下準備などをして、替えのタオルなどを持って再び病院へ戻り、妻の夕食の手助けをする。帰宅し夕食を作り食べて一日を終える。
 
今日は土曜日なので一度家に戻ったが、平日は事務所に行って、夕方、病院に戻る。
帰路夕食の食材を買い、帰宅後、夕食を作る。

一人の生活は、(病人を抱えているからということもある…)結構忙しい。 時間に追われている感じだ。
食事、家事、生活に関する雑事など、改めてなにもかも妻まかせにしていたことをおもい知らされている。
毎晩のように酒を飲んでいた頃が懐かしい。今と違って時間が比較的にゆったりと流れていた…

この十数日は夢中で走ってきたが、まだ新しい生活に慣れていない。しかし当初の悲しみと不安に満ちていたあの頃と違って、起きてしまった現実を受け止めはじめている?時間薬が効き始めた?
妻もそうだろう、というより受け止めざるを得ない状況に追い詰められているのだろう。

 今日も2回リハビリをし、歩行訓練もした。何千何万回かの積み重ねしか回復への道はない。時間が必要だ。分かっているのだが… 先はまだ長い、始まったばかりだ…

時間はどんどん過ぎ去っていく、あせっても仕方がないと思っているが、時間が私を追いかける…

■2月19日(日) ストレス?
     さすが「365日リハビリ」を標ぼうしているだけあって、今日は日曜日なのにリハビリがあった。本人にとっては、ありがたいことなのか迷惑なことなのか…。気力体力がある限り途切れなくリハビリをしてほしいと願うのは家族の強い願い?エゴ?

入院診療計画書にサインしたが、その中に退院は、「2か月」とあった。あくまで予定、見込だと思うが、本当に2か月で退院できるのならうれしいことだ。ただどこまで身体機能が回復しているか、それによって家をバリァフリーに改造しなければならない…資金がいる…

妻は、このまま退院しても「お姫様」生活になってしまう。がんばる…と言っていた。積極的発言だ。
「今日は積極的」ということとして受け止めておこう…いつも強い彼女でいてほしいと思うが。

今日は私も疲れている、朝から何もする気がしない。息切れした感じた。熱を測るが平熱だ。何故かポッケッとしていたい。そうも言っていられないので、弁当を作り病院へ。
妻は私の顔を見て「疲れた顔をしている」と言った。外見も疲れた感じなのだ。

妻が倒れる前までは、多くの週末は、ドライブや小旅行、ショッピングなどで、日頃のストレス解消・命の洗濯・息抜きをしていたが、この間3回の週末は妻の看病だった。頭の中も大半が妻・病気のことが占めていた。
ストレスが溜まっているのかもしれない。

午後、家に戻って昼寝をするか、市民運動が計画している「街頭宣伝」に参加するか迷った末に街頭宣伝に参加した。
この間の日常とは違ったことをすることも大切だと思ったし、それと仲間たちとも会えるし…ストレス解消法になるか。

街頭宣伝に参加して少し元気になったかな?

ひとり者の弁当
2月18日(土) 子持ちカレイの塩焼き と おからコロッケ


《右》 子持ちカレイ(一夜干し)の塩焼き。蒸し水菜。自家製漬物類。リンゴ。
《左》 おからコロッケ。大根葉と人参の浅漬け。自家製ふりかけ。自家製カリカリ小梅。 

※持ちカレイは一パックに4匹が 入っていた。2匹は塩焼き。2匹はから揚げにした。
しばらくはカレイ漬けの食事。

※冷凍保存していた「おから」をコロッケにした。衣は、「油を使わないパン粉」があったのでそれを使って揚げた。残り物の整理だ。

2月19日(日) 子持ちカレイのから揚げ と 山芋の煮物

《右》子持ちカレイのから揚げ。竹輪のてんぷら。人参と大根葉の浅漬け。自家製漬物類。パイナップル。
《左》干し桜えび。山芋の煮物。おから(冷凍保存)。オクラ塩煮。

※カレイは昨日作り置きしていたもの。
※山芋の煮物は、実は昨夜の汁物の具。


2012年2月18日土曜日

2月16(木)、17日(金) 心の日記 右方麻痺でよかった/カキフライ

■2月16日(木) 利き手足の麻痺でよかった。
妻と私の共通の友人(看護士で、今はある老人施設の責任者として勤務している)が見舞いに来てくれた。彼女は「利き手足(右方)の麻痺でよかった」と言ったのでおおいに驚いた。初めて聞く励ましの言葉だ。
本人も私も、「反対側・左方麻痺のならば、利き手足が使えたのに」と思っていたし、家族友人知人の大部分もそのように思っているはずだ。
左片麻痺のほうが、リハビリの意欲が減少することが多いのだそうだ。医学的かどうかは知らないが、言われてみればそうかもしれない。右の利き手足が今までどおり使えるのならば、つらいリハビリを避けようとするかもしれない。
リハビリからのドロップアップの理由の大部分が、意欲低下による自己中止なのだから、「利き手方麻痺でよかった」ということにも頷ける。
「ものも考えようだ」とよく言うが、なるほどそういう風に考えると、右方麻痺でよかったのかもしれない、と思う。(妻は到底そう思わないだろうが…)
今は不自由だが、必ず回復する(させる)ぞと改めて決意する。

リハビリが楽しいものと思えれば効果も高まると指摘されている。楽しくやろう…
明日はいよいよリハビリテーション病院へ転医する。本格的なリハビリの開始だ !

■2月17日(金)
朝、リハビリテーション病院へ移った。今度は4人部屋だ。個室に越したことはないが経済的に無理だし、この病院へ移る段取りをつけてくれた妻の友人は、個室で一人ぽつんと居るよりも、4人部屋のほうが良いと勧めてくれた。
今までの個室と比べればかなり狭いが、ここがこれからしばらくの間の闘病生活の場になる。

さすがリハビリを中心にした病院、365日リハビリで頑張っている病院だ。入院1時間もたっていないのにさっそくリハビリが行われた。午前中に作業療法を約40分。午後に理学療法を約1時間、しかも具足をつけてだが歩行訓練も行われた。私も見学させてもらったが、体が不自由な彼女には大変な作業だろう。
それにしても実に多くの人がリハビリを受けている。どれだけの人が元の機能に回復するのだろうか…

いきなりのリハビリで、今日は妻も疲れたと思う。彼女の気持ちがさらに積極的になってくれるだろう。

今まで停滞していた時間が動き出したようだ…ゆっくりとでいい、ゆっくりと…


ひとり者の弁当
●2月16日(木) カキフライと高野豆腐詰め


《上》 カキフライ。大根葉とチリメン炒め。いかなごの釘煮(自家製)。カリカリ梅
《下》 高野豆腐の肉詰め(大根、人参、大根葉)。自家製漬物類。パイナップル。

※カキフライを久しぶりに作った。市販のカキフライは衣も厚く、カキによく火が通っているので、あまり好きにならない。
揚げ物は、脂の温度と、揚げ時が大切だ。カキが完全に火が入る前、やや生っぽさが残っているほうが好きだ。揚げる時の泡で判断する。

※高野豆腐の肉詰めは、①高野豆腐をぬるま湯で戻す(戻し過ぎない)。大根、人参を下茹でしておく。
②半分に切り、切り離した腹面に切り目を入れておく。
③鶏ひき肉(今回は、なかったので合いびき肉を使った)、卵黄、片栗粉少々をよく混ぜる。
④高野豆腐の切り目に片栗粉を塗り、③のひき肉を詰める。
⑤だし汁(今回は、鰹節で出汁をとった)に酒、ミリン、砂糖、醤油、塩で味をつけ煮る。
⑥下茹でした大根、人参、④の高野豆腐入れて煮る。火を止める前に大根葉を加える。
これも久しぶりに作った。

カキフライは女房へ差し入れした。女房はカキフライが好きだ。

2012年2月16日木曜日

2月14日~15日 心の日記「慣れ」/そぼろ弁当としゃけ弁当

2月14日(火) 慣れ
十日も過ぎるとひとりの生活に慣れてくるものだ。ひとり寝、ひとり食事にも慣れてきた。ふっと寂しい想いが心をよぎることがあるが…
嫌でも受け入れざるを得ない状況に追い込まれたら、人は(私はと言うべきか)その状況に適応するものなのだろう。そうでなければ、いつまでも寂しいさびしいと泣いて暮らさなければならないことになる。
入院している妻は、自分の意思通り体を動かせない厳しい状況に、そう簡単には慣れないと思う。
彼女に与えられている狭い環境で、気を紛らわし気を晴らす方法はあまりにも少ないが、それでも少しづつ慣れてきているように思う。

今日は朝から「シャワー」をしてせいでか少し疲れているようだった。トイレに行くのも重労働、シャワーをするのも重労働なのだ。
「シャワーではなく、全身入浴したい」と言っていたが、本当にそうだろうなと思う。早く願いが叶えられるように…

2月15日(水) 基礎工事
1階のリハビリ室で 妻のリハビリを見学した。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と少しづつ動き始めているとのことだ。だだ今は、手足を動かすためのリハビリではなく、体幹や手足の筋肉を作り鍛えるためのリハビリで、基礎工事の段階だとのことだ。本格的なリハビリは、リハビリ専門病院に転医してからのことだ。

少し動いたからといって、元のようになるとの希望を膨らませて、しかし遅々として進まぬ現実に挫折してしまうことが多いとか、喜び過ぎずしかし希望を持って一歩一歩と進んでいこうと思う。

リハビリ病院への転医の日が決まった。

ひとり者の弁当
2月14日 そぼろ弁当
 

《上》鶏ひき肉と卵のそぼろ弁当。白菜と揚げの炊いたん。ウインナーソウセイジ
《下》ホルモン焼き(買ったもの)。白菜の浅漬け。漬物類(自家製)。オレンジ。

2月15日 しゃけ弁当




 《右》 ベーコンと白ネギの炒め物。漬物類(自家製)。パイナップル。
《左》 しゃけ弁当。オクラの煮物。こんにゃくのきんぴら。



2012年2月14日火曜日

2月12日(日)と13日(月)心の日記「変化」/猪肉焼き

2月12日(日) 一歩一歩と
   5日ほど前から、食事は一般食(粥からご飯)になっていて、90~95%は食べている。今日の昼は残さずすべて食べた、完食だ。そのうえに私が作ってきた出汁巻卵二切れも食べた。食欲はある。最近はお菓子も食べるようになった。少しづづ回復しているように思える。。

    心も回復に向かっているように思う。それでもこちらが話しかけている時にどこか宙を見ているような眼、うつろな瞳になる時がある。私(たち)の言葉が空虚に響くのだろうか、こちらの声が届いていない…会話から一瞬離脱する…私には悲しみの表情に見えてしまうことがあるが、元気な時もままあったような気がするので、気にしないことにしょう…

昨夜は二人の息子の家族たちと牡丹(猪)鍋を囲んだ。正月には私の兄弟たちも集まって新春の宴を開くのが恒例になっている、いわば「一族の宴」だが、この牡丹鍋も例年のことで「家族の宴」だ。
妻がいないこと以外はいつも通りだ。
何時も妻が準備し、私が手伝うのだが今年は嫁たちが手伝ってくれた。
後片付けをしている時、「女房がいたら、ほっといて、ほっといて後でやるから。というのだろうなぁ」「そうですね。寂しいですね」などと話した。
妻がいたら、女房がいたら、彼女がいたら、などと考えることは止めなければならないと思っているのだが…今の現実を受け入れて、一歩一歩と前に進まなければならない。

来年の「宴」には、妻がきっと居る。

2月13日(月) 車椅子で散歩
今日大きな変化?が起きた。
最近は、車椅子に乗って過ごす時間が少しだが増えている。それでも、トイレに行くとき以外は、車椅子での移動はしなかった。
今日のシーツ交換の時間帯に、「ティールームで待つ」と言い、さらに1階の売店に行くと言だした。二日前だったかその時は断ったのに、だ。

妻を乗せて車椅子を押し、エレベーターで1階に下り、売店で缶コーヒーを買い1階待合室を一周
の散歩をした。「下手くそ」「どんくさい」と言われながらだったが私には久しぶりに楽しいひと時だった。妻の「足」というより『意志』になったのだ。
車椅子の移動は、なんだか二人が一体になったような気分になる、不思議だ。

もう一つ変化が起きた。
テレビだ。彼女はテレビをつけているが見ていない。どの番組にも興味を示さなかった。
それが今日は、テレビを「見ている」のだ。

心に変化が起き始めているのだろうか。

2月13日(月) 焼肉(猪)

《右》猪肉焼き(猪肉、玉葱)。茹で卵。自家製漬物(おくら糠漬け、かぶら糠漬け、他)。オレンジ。

《左》茹で大根の塩麹和え。白和えもどき。白菜の塩こぶ和え。鰹節。カリカリ梅。



※猪肉は一昨夜の牡丹鍋の残った肉を焼いた。
塩胡椒味。
猪の肉、臭くてみそ味の鍋でしか食べれないと思われがちだが、焼いても甘味が出て旨い。

※茹で大根も牡丹鍋の残り食材。塩麹で和えた。

※白和えもどきも牡丹鍋の残り食材の焼き豆腐。
①レンジで加熱し(水切り)する。②竹輪、こんにゃく、エノキ、を茹で細かく切る(蛸、イカ、貝などがあれば使用したいが今回は無し)。③すり鉢で、胡麻を荒く擦る。④①の豆腐を加えて豆腐がペースト状になるまで擦り潰す。(面倒ならそこまで潰さなくっても良いと思う)。⑤すべてを混ぜ、塩、砂糖、白みそで味をつける。(田舎味噌や醤油などでもいいが、色が悪くなる。

2012年2月13日月曜日

2月9日(木) ~11日(土)心の日記/ ひとり者の弁当三日間

(ひとり者の弁当は後半に報告しています。)

2月9日(木) 膝が動いた。

入院して一週間が経過し2週間目に入って、今日、やっとリハビリが施された。
家族としては遅いと思っている。脳梗塞で身体に麻痺が残った場合、早期リハビリテーション、早期離床を目指すことが大切だと指摘されている。なのに一週間ほっておかれた感じだ。最初の3~4日は経過を見たり、血圧を安定させたりするのにしかたがないと思うが、その後の3~4日はほっておかれた感がある。
長いリハビリの期間から見ると大勢に影響がないのかもしれないが、家族にとってはほっておかれていると思ってしまう。

一作昨日、言語のリハビリに来た担当者に「遅い」と抗議したが(この担当者に言う筋合いではないが…)、それが効いたのか昨日身体のリハビリのための前段の調査?にやってきて、今日やっとリハビリが開始された。
その結果、右膝がわずかだか動いた。私はその時その場にいなかったが、嫁から報告を聞き小躍りしたい気分になり、妻に「よかった」と言ったが、妻は、ああそう、という反応しかしなかった。
何故?…糠喜びを恐れているのだろうか…何はともあれ喜ばしいことには違いがない。

県立尼崎病院は、急性期治療のための急性期病院だから、リハビリ科が充実していないのはわかるが、患者側には不安が残る。

■支援体制
いろいろな組織に関わっていて事務局的なことをしているが、今の状況では活動力が鈍って、組織の運営に支障を及ぼしかねない。そこで、仲間たちが集まって、任務を分担してくれた。
多くの人に支えられているのを感じる。

会議後、久しぶりに仲間たちと酒をのむ。久しぶりだ。

2月10日(金)初めてのシャワー
今日は、嫁たちに看病を休むように頼んだ。妻が「人がいると疲れる」と言い続けているからだ。
様々な人がやってきて、刺激を与えてくれることが良いと思うが、今はまだその刺激に耐えられないのかもしれないと思い、一日「休み」を取ることにした。それが良いかどうかは分からない?

午後2時から、身体のシャワーをするというので、シャンプー、リンス、石鹸、バスタオル、パジャマなどを用意し、看護士さんに手渡し、いったん帰宅した。
夕方、病室に戻ると妻はすっきりとした顔をしている。「気持ちよかった」という。
入院して、一週間で初めてのことだ。

この尼崎病院は、500床160名の医師が働いているとのことだ。それだけ患者が多いということだろう。救急患者も阪神間で最も多いほうだと聞いたことがある。看護士など医療を支える体制はどうなっているのか、たぶん不足しているのだろうと推測できる。人を増やすにも採算が問題になるのだろう。これが日本の医療の実態なのだと思う。
その結果、一週間たってやっとシャワーだ。

妻のさわやかな顔 "すっきり表情"は、こちらの気持ちを和ませてくれる。

彼女の小さな変化に一喜一憂していては駄目だ。もっと長い目でゆったりと構えなければ…

夜の会議には出席した。少しづつだが、以前の生活にも戻ることも大切だと思ってぃる。

2月11日(土) いじける
朝、病室に行くと、妻は車いすに座っていた。これもリハビリになっていて看護士さんも勧めているし、彼女もそのように心がけている。

車いすに座っている彼女は、私にこうしていると「いじけてくる」とポツンと言った。
今までのようにはいかない、先も見えな状況の中で、自力で動けない体でひとり椅子に座って何を思う… 空虚な心、心に広がる霧…いつ晴れるのだろうか…

先日も、何事にも「興味がわかない」と言っていた。心が動かない、瀕死の心…
無気力につながらなければよいのだが…
    
妻のかっての仕事関係の友人二人が見舞いに来てくれた。
彼女たちに、私の「妻は潔いのでリハビリを投げ出さないか心配だ」と不安を打ち明けたが、彼女たちは、妻は職場では「頑張り屋」で通っていたとのことだ、「心配ない」て言ってくれた。

私の知らない妻の一面、言われてみれば確かに妻は負けず嫌いで何事にも真剣に取り組むところがある


今までは、事務所で食べていた弁当は、できるだけ妻の病室で食べることにしている。

2月9日(木) オイルサーデン

《上》オイルサーデンの一味煮。オクラと人参の煮物
佃煮(ウニ芽カブ)。カリカリ梅(自家製)。

《下》鶏モモ肉の照り焼き、塩もみキャベツ。漬物類(自家製)。リンゴ。


※まだ、賞味期限切れの缶詰が残っている。
オイルサーデン缶のふたを開け、火にかける。たっぷりの一味唐辛子と醤油で味付けする。

※鶏の照り焼きは、冷凍保存していた物。






2月10日(金) 塩焼き蕎麦

《上》出汁巻卵。カイワレ大根葉。チリメン山椒(自家製)。漬物類(自家製)。リンゴ。                      《下》塩焼き蕎麦(豚肉、イカ、竹輪、キャベツ、玉葱、白ネギ、ニンニクの芽、もやし)         
※出汁巻卵とチリメン山椒は、妻の分も作り一緒に食べた。

2月11日(土)かぶらのそぼろあんかけ


《右》塩サバ。漬物類(自家製)。リンゴ。
《左》かぶらの鶏そぼろあんかけ。カリカリ梅(自家製)。自家製ふりかけ(一度使った だしジャコと鰹節を乾燥させて粉にしたもの)

※塩サバを一匹買ったが、一人で食べるのは大変だ。四つ切にした。二つは焼き物。残りの二つは煮物にした。

※かぶらそぼろあんかけ。
①鶏ミンチと生姜のみじん切りを炒める。かぶらは茹でておく。②鰹だし、酒、ミリン、醤油を加え煮る。③かぶらを加え煮る。④かぶらの葉を加える。⑤片栗粉でとろみをつけて仕上げる。

2012年2月9日木曜日

2月8日(水)菜の花で三品/心の日記

2月8日(水) 入院から一週間

今日、妻は看護士さんからのリハビリに対する希望聞かれた問いに、「動くようになりたい」と答えた。また私(たち)に「みんなの希望に応える」と語ってくれた。
飛び上るほどうれしい。この前向きの気持ちを何が何でも支えなければ、と思う。

妻は、私が「やつれた」と私に言った。友は「今日は元気そうだが、3日前に会ったときは、やつれていて心配していた」と言った。

確かにこの一週間は無我夢中で、本当にしんどかった。しかし今日は彼女が初めて、前向きの気持ちを語ってくれて、少しほっとしている。

昨日、食事中、口からこぼし衣類に付いたこめ粒を左手でふき取ろうとして、思うように取れず、「こんなこともできない」と顔をしかめた。気丈夫な彼女は涙は見せないが心の中では 泣いていたと思う。私のほうが涙ぐんでしまった。

私のほうが気が小さいのかもしれない。昨日の朝、浴槽で湯につかっている時、突然、訳もなく胸にこみ上げてくるものがあり、訳もなく嗚咽し、「ウォッ」と奇声をあげてしまった。「ウォッ」。「ウォッ」。「ウォッ」。「ウォッ」と。何故だか解からない?
そのあと何かすっきりとした気になった。


久しぶりに作った
女房が病魔と闘っている。(2月6日「迷った末に…」を見てください)
これから当分の間は一人の生活になる。料理の楽しさは食べてもらう人のために作ることだと思う。己の一人だけの食事は、作るよりも外食や既製品の便利さの誘惑に駆られる。
誘惑に負けず作り続けたい、とひそかに決意する。たかが弁当だ。なんと大げさな…食事を作ることは妻の「闘病」とつながっていると勝手に思うことにした…

看病の動揺する日々に作った三日間の弁当です。

※菜の花一束を買っても一人では食べきれない。三品にした。
茎と葉に切り分けて時間差で茹でておく。

■2月6日(月) 定番・菜の花の鰹節和え

《上》鶏皮の醤油煮。にんにくの芽ともやし炒め。自家製いかなごのクギ煮。

《下》いわしの一夜干し。菜の花の鰹節和え。自家製各種漬物。オレンジ。

※鶏皮は、二度煮こぼし(ゆでこぼし)して、脂分を取る。
その半量を醤油、酒、みりんで煮る。(残りの半量は明日使う)

※鰯の一夜干しは、女房が病に倒れる前日に、節分のために買っていた物だ。
本来は夫婦で、恵方巻きにかぶりつき、一緒に食べるはずだった。

2月7日(火)鶏皮と菜の花の炒め物

    
前日の食材を使う。鶏皮、菜の花、オレンジ。 やはり一人では、一回で食べきれない。                                                  ●菜の花。前日の和え物、今回の炒め物、浅漬け(前日に漬けた)。                            ●鶏皮。前日の煮物、今回の炒め物。
《右》鶏皮と菜の花の炒め物。菜の花の浅漬け。オレンジ。
《左》豆苗と薄揚げの煮物。車麩の昆布煮。チリメンジャコ。自家製カリカリ梅。

※鶏皮は昨日煮こぼししておいたもの。菜の花は昨日茹でておいたもの。
※豆苗は、最近は異常気象で、葉物野菜が高いために、人気が出ている野菜だ。えんどう豆を発芽させたスプラウト(新芽)だ。今回使ったのは、2週間ほど前に使ったとき、根だけ残し水につけて育て?伸びた苗だ。
※車麩は、女房が倒れる前に昆布だしで煮込んだものだ。

2月8日(水)白菜と豚肉の重ね蒸し。


《上》焼き鯖。三度豆の胡麻和え。ホタルイカのしぐれ煮 《下》白菜と豚肉の重ね蒸し。貝割れ大根葉。自家製漬物類。皮つきのままのリンゴ。                    ※ ホタルイカのしぐれ煮はお土産で頂いたもの        ※白菜の重ね蒸しは、鍋底から、白菜葉その上に豚、塩をして、白菜葉、豚肉、塩の繰り返し数層を重ね、鍋底に1㎝ほど水を入れて、蓋をして蒸しあげる。お好みで胡椒や醤油、顆粒鶏ガラなどで味をつけてもよい。また豚肉の上に片栗粉をふりつなぎにしてもよい。






2012年2月7日火曜日

2月6日(月) 迷った末に記すことにした… 心が閉じてしまう

自分の心の整理のために ここ4,5日のことを日記風に記すことにする。

日々の弁当の報告と、この間に起きた様々なことに対して書くことが溜まっているので、そろそろ報告しょうと思っていた矢先、私の終末期の人生に重大事が起きた。耐え難い、しかし耐えなければならないことが……

超プライバシーなことなど書きたくはないが、何かに想いを吐き出さなければ私自身が落ち込んでいく。
こんな個人の秘密に属するようなことを記録し公表することに対しては、賛否が分かれるところだろうが、この私のブログを見る人はごく少数の私の知人に限られてくると思うので書き記すことにする…
多くの人に支えてもらいたい、しかし誰も見なくてもよい、自分の心の整理のために…

2月2日(木)
 夜8時半ごろ、夕食後のゆったりとした時間が流れている時、妻が身体が何か変だと言い出した。しばらく安静にしていたがやはり何か異変が起きているとの訴えに119番で救急車を呼び、県立病院に緊急入院・集中治療室(ICU)に入院した。МRIなどの検査結果から「脳梗塞」と診断された。そのころから麻痺が始まっだようだ

 医師から、症状が発現してからか3時間以内に使用すれば劇的に症状が改善されるというアブテブラーゼという薬を投与する「血栓溶解療法」の同意を求められた。
この療法はアメリカでは十数年前から行われている治療法で、日本では数年前から保険適用された治療法。ただデータでは39パーセントの人にしか効果がなく、他の箇所で出血を引き起こす危険な副作用の可能性もあるものだったが、迷っている時間もない。ただちに同意した。(後で知ったがこの治療法は、認定された特定の医療機関でしかできない)

 この治療法が効果があり、この危機を脱してくれることを祈りつつ、しかし一方では事の重大さに私の心が押し潰れそうになっている。
誰かとこの苦しみを分かち合いたい、本来その分かち合う相手が今病魔に襲われている。
やはり分かち合う相手は家族になってしまう。長男は今海外へ出張中、京都に居る次男に連絡するとただちに駆けつけてくれた。

 その私たちは何もなす術もなく、深夜、心を残し病院を後にする。

 眠ろうとしても寝付けない、これからの不安、妻の悲しみと苦しみ、今までの出来事が脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ…何故か涙が出てくる…何の涙なのか…考えているようで何も考えていない、何を考えればよいのか…ただただ心が苦しい…

まんじりもせず朝を迎える。

2月3日(金)
 

 
  面会時間は11時からだが、そんな遅くまで待っていられない。9時過ぎに病院に駆けつける。
 

 今朝の妻の顔はやはり沈んでいる。残念ながら「血栓溶解療法」は妻には効果がなかったようだ。
憔悴した妻の顔、思うように動かせせなくなった自分の身体に、受け入れがたい現実に戸惑い苦しんでいる姿。それでも気丈夫に振る舞っている妻。私も口では励ましているが、痛々しい妻の姿に、私自身が戸惑っている。
 

  医師から二度目のМRIの結果の説明を受ける。血栓がくっきりと映っている。梗塞はごく小さいが起こした場所が悪いとのことだ。運動神経を殺しているらしい。
「右半身に強い麻痺が残っている。あとはリハビリしかない」と告げられる。

 長男と次男のそれぞれの「連れ合い」も駆けつけてくれる。

 意識ははっきりとしているが右手、右足が完全に動かなくなっている。会話もしっかりと出来るが、右顔に少し麻痺があり発音しにくいところも残っている。

 妻は、この状況を親戚や友人に知らせることを拒む。この状況を受け入れることができないて戸惑う。弱っているこの姿を誰にも見せたくない、心配をかけたくないし、同情してほしくないし…さまざまな気持ちがまぜこぜになり入り混じり、誰にも会いたくないと思ってしまうのだと思う…私もそういった気持ちがある…痛いほどよくわかる。
しかし、伝えなければならない人には伝えなければ…

「リハビリで回復できる」「焦らす気長に行こう」と語りかける。「うん」と頷くが妻の心には届いていない。死をも意識しているようだし、仕事上「回復できない例をたくさん見てきている。」とも言う。
妻の性格は「潔いこと」だが、この場合は裏目に出てしまう。
息子ともども一番心配なのは、リハビリを途中で投げ出さないかということだ。「叱咤激励しながら長期戦で臨むこと」、そのためには「何か目標を持って」と話し合う。しかし妻の性格からこれはかなり困難な戦略だと思う。

長い、いや短い一日が過ぎていく。冷静にならなければ冷静にならなければ、と自分に言い聞かせる。この新しい現実と向き合いつつ、一方で今までどおりの生活を送ることで自分の心の平衡を保っていこうとも考える。

夜、一人になると、いろいろな思いが込み上げ涙があふれ出る。彼女の悔しさ、悲しみ、不安感、絶望感を思うと涙が溢れ出る。これからのこと、将来の不安が膨れ上がる。私の心は張り裂ける寸前になっている…
なぜこの年になって、こんな悲しみそれも苦しみを伴う悲しさを味合わなければならないのか、重圧に胸がつぶれそうになる。心を閉ざしたい。

彼女の運転であちらこちらをドライブした日々はもう望むことはできないのだろうか…。いやそんなことはどうでもよいのだ…
彼女は私以上にもっともっと苦しみ悲しんでいるはずだ。私が負けてどうするのだ、負けるわけにはいかない…

二日目の夜も悶々として朝を迎える。

2月4日(土)

今朝の妻の顔色が良いし明るい表情が戻ってきたようだ。彼女が明るかったらこちらの心も晴れる思いだ。私の心も落ち着く。
今朝から流動食が始まった。出された食事の半分は食べた。

幾らか前向きに物事を考え始めたのだろうか。

実の妹夫婦がお見舞いに来てくれた。この妹も3年前に脳梗塞で倒れ、リハビリで95%機能回復した経験の持ち主だ。彼女は自分の経験を語ってくれた。ただ妻よりもいくらか症状は軽かったが。
妻は「自分も頑張ろう」と思ってくれただろうか。

次男の子供・孫たちも見舞いに来てくれた。妻の心がいくらかは和んでくれただろうか…

妻に、まずは「外泊できるまで」の機能回復を目指そう。週末は自宅で過ごす生活を目指そうと提案する。何とか実現したい。妻は半信半疑で聞いていた。

考えを整理する、千々乱れる思いを整理する、そのために書く。様々な出来事、私の心の軌跡を書き留めて整理しなければと思う。

夜、一人になると、ふと横に彼女がいる錯覚に陥り、そのたびに寂しさが込み上げてくる。
妻が退院してくるまで(何か月先になるのだろうか)一人の生活になる。
一人の生活に慣れなければ…
これからの二人の新しい生活、少ない残りの人生を共にしていこう、新しい人生の始まりだ…
など考えながら眠りについた…
久しぶりによく眠れた。

2月5日(日)

久しぶりに台所に立ち、朝食を作った。今までのように日常生活を当たり前のように過ごすことで、心の平衡が保てると思う。
溜まっている洗濯もした。十数年振りだろうか、私が「主夫」をしていた頃は、食事や家事は私の担当だったがそれ以来だと思う。久しぶりなので洗剤と水量の割合など戸惑ってしまう。

これからはこんな生活になるのだろうなあ。

午後に長男が海外から予定を変更して帰国することになったので、妻に夕食は息子たちと食べる旨を伝えると、妻は「葬式の相談をしておいて」といった。「なにゆうてんねん」と返したが、私の心に突き刺さった。

昼食のために帰宅し、一人になって思わず泣いた。
まだ彼女の心に「死ぬのだろうかとの思い」が潜んでいるのだと思うと、おもわず「久美子」といって泣いてしまった。
妻を「久美子」と名で呼んだことがほとんどない。「君は」とか大阪弁で相手のことを「自分」と呼ぶがその「自分は」としか呼んだことがないのに…
本当に彼女の悲しみ、心の闇を思うと涙が止まらない。

長男が帰国し、その息子・孫たちと一緒にきてくれた。妻の暗い心に少しでも明かりが射せばと願う。


昔の生活に戻りたい、昔のように人生を楽しみたいと思う気持ちが強くあるが、それはほとんど不可能だと思う。 何も今までと同じ生活をする必要はない、新しい条件で新しい生活、新しい楽しみ方を作ればよいのだ、と思えるようになってきた。

これからの二人の生活、歴史を作ればよいのだ、たとえ体が不自由だったとしても…

2月6日(月)



朝食と弁当を作る。弁当は久しぶりだ。今までの日常生活から、これからの新しい生活のスタイル、リズムを作っていかなければならない。

午後、ICUから一般病棟に移る。経済的にはつらい面もあるが、個室にした。弱っている心には静かな雰囲気が必要だとの思いからだ。何もすることのない~することができない時間を、少しでもゆったりと自分の自由にできる、テレビも見れるし…看病するほうも落ち着けるし…

今年は、結婚47年目だ。あと3年で50年記念だ。50年記念には二人だけか家族でかは別にして何かお祝いをしょう、それまでできることなら、食事やトイレが自立できていればよいのだが…と妻に希望を語った。

仕事場・事務所に顔を出しに行く。少しづづ前の生活に戻ることも必要だと思う。

夕食を作ったが、一人分を作るのは何かわびしい。やはり料理は食べてもらう人がいて作るものだと思う。自分の分だけならどうでもよいように思えてくる。しかし頑張って作ってみた。
一人で食べる夕食は寂しい、今までも一人で食べることが多かったがそれでもいつも傍に妻がいた。これからは当分の間、文字通り一人の食事になるのだ。
これからも料理は続けるぞ。これは私の戦いだ。

2月7日(火)

古くからの友人が見舞いに来た。続いてもう一人が…。それから私の妹が来て…私も含めて一日中誰かが病室にいる状態だったようだ。みんな妻を心配してのことなのだが…
心が弱っている今の妻には、逆にそんな状況は、重荷になっているのかもしれない。

長男夫婦にも、私にも「もうそんなに来なくてもよいから」「早く帰って、あんたも!」という。

昼もそうだった。事務所に行ってまた夕方に戻る、というと「もう戻ってこなくてもよい」といっていた。額面どうりに受取ればよいのだろうか…
昨夜は、「帰ってもやることがないのなら、(病室に)泊まっていけば」といっていたのに…

彼女は何も考えない「無」の時間を求めているのかもしれない。心の回復のために…
今までと、受け入れがたい今との溝をうめるゆっくりとした時間が必要なのだろうか。

私(たち)が恐れているのは、何もない時間に、彼女の考えや思いが消極的な方向へ、マイナスの方向へ向かうことなのだが…

本人が、現実を受け入れるのには確かに時間がかかることなのだと思う。彼女を支えようとする周りは、少し焦りすぎているのかもしれない。

「昔通りに戻れる。頑張れがんばれ」の応援も彼女の重荷になっているのかもしれない。

昔と今のはざまで揺れ動く妻の心に寄り添うにはどうすればよいのだろうか。